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柴原誠氏インタビュー[vol.2]

-ユース時代は「西の宇佐美貴史か東の柴原誠か」と言われているほど才能豊かで、その感覚は突出していたと思います。その中で現役を引退したとはいえ、また新しいものを取り入れるということはなかなか難しいことかなと思うのですが、その辺の葛藤みたいものはなかったのでしょうか?

葛藤はなかったですね。サッカーを勉強していくうちに、自分がプロで活躍できなかった原因がどんどん分かってきて…。その一言に尽きますね。

-その活躍できなかった原因とは?

いろいろあると思いますが、技術面とメンタル面、あとはそういう戦術面というすべてなのですけど、まずはサッカーの原理原則を分かっていなかったのですよ。ボールが入ったときはプレーができるのですが、自分がボールと関係ないときに何をしないといけないかというところがまず分かってなかったので、立ち位置がずっとおかしかったと思います。今更ですけど、プロだとそれでは試合に出られないですよね。

-でも、その辺は監督やコーチ、周りの選手から言われたりしなかったのですか?

言われたと思います。ただ、言われても理解していないまま動いている感じでしたね。動いてはいますし、その正しいポジションを取りに行くのですけど、「なぜそこに自分が行かないといけないのか」というのを分かっていなかったのでしょうね。そこへポジションを取る理由が分かっていなかったと。だから、その理由が分かっていないから、そのポジションを取ってもその次ができないのです。あとメンタル面で言えば、やっぱり自分が試合に出られないことを監督のせいにしていましたね。

-監督の責任に?

まあ、自分が今指導者という立場になってみても相当な監督だったと思いますけど、それでもやっぱり本当に自分が死ぬ気で努力していたかというと、練習が終わってすぐに帰るのではなくて、残ってトレーニングするとか、できることがあったのにやっていなかったというのも事実なのですね。短い現役生活の中で、もっと日頃のトレーニングを死にものぐるいでやっていたらと。やっぱり周りに流されながら、何もない毎日を過ごすという感じになっていたなと、今思い返せばですが…。メンタル面ではそういうところの自分の弱さがありました。

技術面では、逆に若干自分を肯定することになるのですが、よくこの体格でまずプロになれたというのはひとつあったのですね。今客観的に見ると、正直、この体格ではプロでは戦えないですよ。身長も低いですし、体重も軽いからフィジカルも強くないですし、ですから引退原因と重なりますが、「この体格ではプロでは戦えない」というところです。いくら技術があって判断ができても、特にプロになればフィジカルは絶対的に必要になります。もし、当時の自分に話しかけることができれば「小中高で努力して、よくプロになれたね。だけどプロじゃ活躍できない体格だよ」と言ってあげたいですね。

-それ以外に、プロになった当時の柴原さんに声をかけるとしたら何を伝えたいですか?

僕もそれは考えたことがあって、「今から上手くなるよ」と。「ここからサッカーが上手くなるのだよ」と教えてあげたいです。僕はプロになったときに自分が小中高で頑張ってやってきて、努力してきたことの最大値がプロだと思っていて、それでプロでどのくらい通用するのかと思っていたのですね。だけど他のプロサッカー選手たちを見ていると、そこから更に上手くなるのですよ。それを僕は知らなかったというか、プロになったことが自分のピークだと思い込んでしまっていたし、そうやって自分で決め付けてしまっていたので…。ですから、もし話しかけることができるのであれば、そういう声をかけたいですね。「プロの世界に入ってから、ここから努力した分だけまだまだ上手くなるよ」と。結構いると思います、今のプロでもそのことに気付いていない選手が。

-これだけ多くのJリーガーがいれば、そういう選手もいるでしょうね?

だからもったいないのですよ。僕の経験をその選手に伝えてあげたいですよ。それが理解できれば、毎日の行動や判断が変わるかもしれないですからね。僕もそうでしたが、年齢的にも若くて、やっぱり今までやってきたプライドというか、想いがあるのでなかなかその行動を変えることは難しいのかもしれないですけど、でもやっぱりそれを乗り越えられる人が一流というか、生き残れるのかなと思いますね。

-柴原さんはユースから昇格してプロ選手となりましたが、実際にプロになって思ったことはどのようなことでしたか?

今思うとですが、小中高で特別な存在だった自分が特別じゃなくなったと思いましたね。「王様」ではないですが、自分がずっとチームの中心としてプレーしていたものが、「自分は特別じゃないのだ」と気付かされました。

-そのことを思ったキッカケというのは?

もう最初のトレーニングからですね。最初のトレーニングと言ってもまだ高校生で練習参加したときですけど、(アフシン)ゴトビ監督となった年で、学校が終わってからの午後の練習だったのですが、もう既に練習が始まっていて少し遅れて参加したので、最初は別メニューでアップしてからポジションの中に入ったのですね。そうしたら多分通常だったらやらないであろうフリーマンを僕がやることになったときに、圧倒的に僕の判断が遅くてみんなのプレーに追い付けなかったのですよ。それで他の選手たちに迷惑をかけた感じになってしまって…。でも今思うと、そこのフリーマンのポジションは、小野伸二さんや小林大悟さん、エダ(枝村匠馬)さんなどがやるべきあろうポゼッション練習のフリーマンの立ち位置だったのですけど、そこをやったときに「今の自分では無理だな」と。そのときに「自分は特別ではない」というのは感じました。

-当時の面子はそうそうたる選手たちが揃っていたと思いますが、柴原さんもそれなりに自信はあったわけですよね?

はい、ありました。

-でも、なかなかそのレベルまで行けずに上手くできない日々が続いていたときというのは?

ボールを持ったらやれる自信あったのですよ。ナビスコカップ予選の鹿島戦(2012年6月27日先制点アシスト)や天皇杯(2012年9月8日2回戦)のときとかも、自分的には良いプレーができていたし、ボールを持ったらできる自信はありました。「練習中とかもボールを持てればできる」という自信はありました。
ですから今思うと変な自信じゃないですけど、「自分はできる」とずっと思い続けて現役生活が終わった感じです。

-ただ、プロにとって自信というものは必要だと思いますが、それが違った意味でのプライドになってしまうと前に進めなくなってしまうのかなと思いますが?

そうですね。さっきの話にもあったのですけど、変われなかった自分のスタンスというか…。ただ本当に自信はありましたし、チャンスが来たらいつでもやってやろうとは思っていましたけど、チャンスが来なかったですね。

-なかなかチャンスが回って来ないとメンタル的にも?

まあ負け惜しみに聞こえますけど、ベンチ外とかでスタンドで試合を見ていて、「どうせ負けるのであれば俺ら使えよ」とみんなで言っていました。

-当時のメンバーというのは?

伸二さん、永井(雄一郎)さん、大悟さんなど手本となる選手が多くいて、ある意味恵まれていたと思います。でもトシ(高木俊幸)とか(大前)元紀くんとかが同じアタッカー陣にいて、そこは結構不動のメンバーだったので、ポジション的には厳しかったですね。僕が思っていたのは(長谷川)健太さんが監督で、田坂(和昭)さんがコーチでいて、ユースから昇格してしっかりアピールして、田坂さんに育ててもらって、健太さんに認めてもらって試合に出るイメージで上がったつもりだったのですが、そうしたら2人ともいなくて…。ユース時代にキャンプやサテライトの練習に参加させてもらったときに、健太さんや田坂さんのことは信頼できる指導者と思って「この人たちと一緒にサッカーをやりたい」と。それで「さあ頑張ろう」と思っていたら、「誰この人は…」という人が監督をやっていました。

なかなかクセの強い監督でしたから、(鍋田)亜人夢くんや(柏瀬)暁や僕を飛ばしても、アジア年間最優秀ユース選手賞を取った石毛(秀樹)が試合に出ていましたから。まあそれも理解していましたけど、それにしてもこんなにもチャンスが来ないかっていうのは思っていました。僕は本当に、先ほど話したナビスコの鹿島戦の次の週のリーグ戦の試合には絶対ベンチ入りはするだろうなと思っていましたよ。自分の調子も良かったし、そこでナビスコであれだけできた手応えはあったので、ベンチ入りしてそのチャンスは絶対にものにしようという精神状態だったのに、いつも通りのベンチ外っていう現実が…。「えー、そんなことある?」と思いましたね。当時の地元のスポーツ番組で、ノボリ(澤登正朗)さんにも「柴原は期待できますね」と言ってもらったことはまだ覚えています。「次のリーグ戦での活躍の可能性は十分にある」みたいな感じで言ってもらえていましたから、ショックは大きかったですね。

-そうすると、柴原さんのエスパルス時代の一番印象に残っているのは、その鹿島戦ですか?

そうですね。鹿島戦は(伊藤)翔くんにアシストしたのですけど、翔くんとは仲が良かったし、お互いに息も合って良いプレーができていましたから、鹿島戦は「自分はこれだけできる」という自信がつきました。まあ結局チャンスは来なかったですけど、「チャンスが来る」というのは自分の中で確信はあったので…。サッカー人生の中ではあの鹿島戦はすごく大事な試合で、人生が変わるかもしれないと思えた試合でしたね。自分で言うのもアレですけど、結構やれていたと今でも思っているのですが、プロ生活の中で8割ぐらいは「運」だと思っていますから、運がなかったのかなとも思います。

-でも、そういう経験があったからこそ、今にそれが生かされている感じですか?

そうですね。僕はプロ選手として大成しなかったからこそ、今こうしていられると思っているので、逆に活躍しなくて良かったのかなと思っています。正直、セカンドキャリアの方が長いですし、下手に活躍していたらまだプロにしがみついていたかもしれないです。勘違いして、まだJ2やJ3で諦めきれずにプレーしていて「さあ、セカンドキャリアはどうしよう」となっていたかもしれません。

 

続く