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加賀美翔氏インタビュー[最終回]

-2018年には千葉のVONDS市原へ加入され2年間プレーされましたが?

2年プレーさせてもらって1年目は試合にも絡んでいましたけど…。アルバイトとサッカーの両立が難しかった部分はありますね。週6日くらいでバイトを入れて、練習にも参加して両立してやっていたのですが、このままだと、このカテゴリから抜け出すことは難しいと思って引退を決めました。

-サッカーに区切りをつけてからのその後というのは?

もうサッカーとは関係ないことをやろうと、知り合いの方と飲食業の準備をしていたのですが、2020年に新型コロナウイルスの流行でダメになってしまって…。働き先もコロナの影響で無い状態でしたけど、焼肉の京昌園さんに声をかけてもらってバイトをしたり、知り合いの紹介で高速道路の仕事をしたりしていました。別にフラフラとしていたわけではないのですが、なかなか次が見つからなくて大変でした。

-加賀美さんとしては、引退後の計画というものは具体的にはなかったのですか?

決めていなかったです。クラブをやめる時はクラブの考え方と相違があって、そこで急にサッカーに対してのスイッチが切れて引退を決意したものですから、次のことは全く考えていなかったですね。若かったというのもありますけど、もっとセカンドキャリアを考えておくべきだったなと。その他にもbarの雇われ店長もやりましたし、山の観測員も1年間くらいやりましたね。

-山の観測員というのは?

山に登って境界線の杭の確認という仕事でしたけど、そこも観測する山がなくなってきて仕事が少なくなってしまって…。そこで今の人工芝の会社の社長さんに声をかけてもらい、今があります。その頃からスクールをやり始めようと準備は進めていましたけど、スクール1本では無理でしたから、メインとなる仕事をどうしようかと考えていました。

-やはりサッカースクールだけでは生活するには無理なのですか?

そうですね。僕の考え方に共感してくれるスポンサーを見つけるとか、もっとガツガツとスクール生を募集するとかやり方はあるのかもしれませんが、僕としては長くスクールを続けて定着させたいと思っていますので、強引なやり方は好まないです。スポンサーになってもらっても、今はまだその企業に対して還元できるものが少ないですが、富士地区の子供たちの将来のために、いつかは賛同いただける企業に「KGMS base+α」のサッカースクールを応援していることを自慢できるようなサッカースクールにしたいと思います。

-サッカースクールを長期的に安定したものにするには情熱も必要ですが、やはり資金というものも大事になると思います。是非多くのスポンサーが賛同してくれれば良いですね。

別にお金儲けのために始めたわけではないですが、資金があればコーチも雇うことができますし、練習用具も充実することができます。それによってスクール生も増えてくれば、チームでの活動ということも視野に入れられると思います。もしウチのスクールに興味や応援しても構わないという方がいましたら、是非一度練習しているところを見学していただければと思います。

-加賀美さんはどんなコーチ、指導者になりたいですか?

まず、根本的に僕みたいな子が増えなければいいなということですね。まず「サッカーというスポーツは面白くて楽しい」ということを伝えられるような…。そして、もっと楽しくなるためには上手くならなければいけないので、基礎作りの手伝いができるような指導者になりたいです。まだまだ指導者としては未熟ですから、子供たちと一緒に成長できればと思います。

-ところで富士地区でのエスパルス人気はいかがですか?

間違いなくありますね。今この地元で岳南Fモスペリオというチームがあり、子供たちも集めてやっているようなので、そういう地道な活動で今後は分からないですけど…。今はやっぱりJ2とはいえエスパルスの人気は高いですね。でもサッカーをやっている子は、みんな県内のJリーグ4チームに興味があるので、アスルクラロ沼津のグッズを持っている子も結構います。その中にはエスパルスのグッズも一緒に持っている子もいるので、どこか1チームに肩入れしているというよりは全部を応援しているのではないですかね。昔はこの地域はエスパルス一択でしたけど。

-以前はラジオの解説などでアイスタでも見かけることがありましたが、最近はエスパルスの試合はご覧になられていますか?

9月のV・ファーレン長崎戦に、サポーターの方を何人か集めて「ツアー」というと大袈裟ですけど鈴与レンタカーさんで「清水エスパルス応援レンタカー」を借りて観に行きました。残念ながら試合は引き分けでしたけど…。

-エスパルスの試合を観てどのように感じましたか?

あまりアイスタには行けてなくて、配信などのハイライトを観ていますが、ホームゲームで負けなしというのは強みではあるのかなと思います。今までは簡単に負けてしまう試合や勝ちを逃す試合が多かった中で、J2とはいえ今シーズンはそういう試合が少なくなったと思いますし、今は自動昇格圏内で優勝もあり得る勝ち点を奪っているので、試合も安心して観ていられるのかなと。以前はリードしていても後半のアディショナルタイムにドキドキすることが多かったですが、そういう試合もなくなり、守備も攻撃も安定感がありますよね。内情は分からないですけど乾(貴士)さんがボールを持つとすごくチャンスが生まれる雰囲気があるし、(北川)航也が1トップを張れていることが大きいのかなと思います。今までならそこは外国人選手がいて、その周りで航也が生かされてという感じでしたが、1トップで得点はできなくてもチームのためにプレーしているのが分かるので、点を取ることができるようになった今シーズンは、チームにとっても本人にとっても大きいのかなと。

-北川選手はまだ成長しているということですか?

そうですね。一時得点できなくて苦しんだと思いますが、でもブレることなくチームの勝利に貢献していました。いろいろな考え方があるので「FWは得点してナンボ」ということもあるかもしれないですが、航也が得点できなくてもチームが勝利していることがその証だと思っています。藤枝MYFC戦の健太のゴールのアシストも、今までの航也なら切り返して無理にでもシュートを打っていたと思いますが、より得点の確率が高い選択ができるようになっていますよね。今年はキャプテンもやっていますから、そんなに「俺が」というタイプではないですけど、しっかりとチームの中心になっていますね。

-以前の北川選手はどのような感じでしたか?

入って来た時からギラギラしていましたね。1年目の間もない時に(碓井)建平くんに文句を言っていて、「そういう言い方はないだろう」と注意しましたけど…。先輩に対してちょっと失礼だったかもしれないですけど、それぐらいギラギラしていないと若い頃から試合に出たり活躍することは難しくて、やっぱりプロではやれないのかなと思います。

-人工芝の施工、サッカースクール、そして最近には飲食業も始めたということでしたが?

はい。9月1日から「cafe&bar sukizuki」という店を始めました。

-「スキズキ」という名前はどういう意味でしょうか?

親父が命名したのですが、「蓼食う虫も好き好き」のスキズキから取りました。人それぞれに好みがあって、その中でこの店が好きな方々が集まってくれればいいなということだと思います。ランチタイム、カフェタイム、バータイムとありますので、それぞれで違った店の顔がありますから好きな時に寄っていただければといいかなと。僕も仕事がない時には店に出ていますから是非皆さんに来ていただきたいと思います。

-最後にエスパルスサポーターへメッセージをお願いします。

僕も今はもうエスパルスを応援するサポーターの立場なので、サポーターへメッセージと言われると違和感がありますけど、僕も引退してからもずっとエスパルスのことは気になりますし、1日も早くJ1へ戻ってもらいたいと思っています。知っている選手は少なくなってしまいましたけど、ユースの後輩の航也、健太、(宮本)航汰たちが頑張ってくれているので、頼もしいですし嬉しいですね。選手たちはサポーターの方々の声援が力になりますし、僕も心が折れそうな時に、三保で声をかけてくれたサポーターがいたから頑張れたと思うので、これからもエスパルスの選手たちの背中を押し続けてほしいと思います。僕も地道にやって行きますので、またスタジアムなどで顔を見たら気軽に声をかけてもらいたいですし、店にも遊びに来てもらいたいと思います。

-今回はありがとうございました。サッカースクールの成功と第二の人生も多くの方から愛される加賀美さんでいて下さい。

ありがとうございます。地元をもっと盛り上げられるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

プロフィール

1994年生まれ
静岡県富士市出身。
エスパルスユースから2013年にトップチームへ昇格。リーグ戦での得点はなかったがナビスコカップや天皇杯でゴールを挙げた。また練習試合や紅白戦では常に得点を決めてアピールしていたが出場機会に恵まれずに清水在籍4年間での公式戦の出場は3試合に留まった。しかし記憶に残るFWとしてサポーターから愛された選手。2016年6月に藤枝MYFCへ移籍し、その後JAPANサッカーカレッジ、VONDS市原FCに所属するも2019シーズンで引退。現在は人工芝の施工業務をしながらサッカースクール「KGMS base+α」の代表として地元の子供たちへサッカーの楽しさを教えている。2024年9月からは富士市厚原に「cafe&bar Sukizuki」もオープンし、更に地元密着で生まれ育った富士地区を盛り上げている。