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岩下敬輔氏インタビュー[vol.1]

インタビュー:2024年6月


-本日はよろしくお願いします。岩下敬輔さんはいろいろな動画サイトに出演されていますし、メディアなどでも数多く取り上げられていますので、岩下さんのことをよくご承知の方もいるかとは思いますが、今回はまた少し違った角度というか、近況も交えてサッカーについても少しお話していただければと思います。

はい。よろしくお願いします。

-引退されてもうどのくらい経ちましたか?

2020年が現役最後となりましたから、もう3年ですね。今年で4年目になります。

-現役を引退してから3年が経ったわけですが、あらためてこの3年間はいかがでしたか?

やっぱり大変ですよ。今は飲食業界でもやらせてもらったり、高校生の指導などでサッカーにも携わらせてもらい、そこでは子供たちのパーソナル指導もやらせてもらったり、その他にはエージェント業もやっていましたし…。この3年間はあっという間でしたね。

-充実の3年間だったという感じですが、いろいろと初めての経験は面白かったですか?

「面白い」というより、やっぱり大変です。自分一人であれば良いのですが、一緒に働いてくれている従業員を守らなければいけないですし、その従業員にも家族がいますから、その家族も守らなければいけないという責任ですよね。自分だけであれば好き勝手にやれますけど、そういう意味で面白いというよりも大変ですね。

-エージェント業は、まだ継続してやっているのですか?

一応、サッカー選手をはじめ野球、相撲、バスケットボールなどの様々なスポーツの選手たちの声を伝える機会の提供や、イベントなどの仲介業みたいなことをやらせてもらっています。

-引退した選手ではなく、現役選手のプロモート的なことですか?

引退した選手の就職先を斡旋するとかではなくて、プロの現役選手たちの声というものを現役だから伝えられることがあると思うし、応援してくれている人たちにも聞いてもらって、そこからいろいろなことを感じて、今まで興味のなかったスポーツや出会える機会がなかった選手と会って、新たなファン層が生まれれば良いのでは…、と思うところもあって、なかなか現役の選手が自分でそういうことはやれないですし、これまでの経験で知り合った人も多いので、僕はパイプ役としてつなげる仕事をやらせてもらっています。

-そうすると、いわゆるサッカー選手の代理人という仕事はやられていないのですか?

基本的にはやっていないですね。昨年に今までの仲介人制度が廃止されて、新たな制度が導入されたのですが、その新たなエージェントのライセンスを持っていないと選手とクラブの契約更改の場には立ち会えなくて、クラブとの交渉についてはできなくなったのですよ。ただそこ以外の選手のマネージメントという部分はできるので、そこは継続しています。

-昨年の5月にもつ鍋屋さんを静岡の街中に開業し、今年の4月にはうどん屋さんも始められましたが、お店の経営はいかがですか?

まあ大変ですね。うどん屋は業態も違いますし、店の営業時間も夜の10時くらいから朝の6時くらいまでなのでお客さんの層も違うのですが、そちらの層のお客さんにももつ鍋居酒屋にも来てもらえればということもあります。そういう意味も含めてうどん屋もやり始めたところもありますけど、静岡になかった「夜中のうどん屋」ということで、商品については本場の香川県や福岡県から厳選したものを仕入れていますので味は間違いないですし、いろいろと大変ですけどお客さんもまあまあ入ってくれていますね。

-夜中から朝方の営業ということですが、そこまで人がいない静岡あたりでもやれるのですか?

そうですね。基本的には飲んだ後の締めのうどんという感じですけど、やっぱり夜に働いている人が多いですかね。飲食店が12時くらいで閉店して、その帰りに寄ってくれることが多いです。あと飲み過ぎて終電を逃してしまった人が、始発まで時間を潰しながらうどんを啜っていることもありますよ。

-もつ鍋屋さんは、この4月に店名も変えてリニューアルオープンしましたが?

はい。「もつ鍋居酒屋 美臣」という店名に変更して再スタートしました。今までは「博多もつ鍋」ということでやっていましたが、「もつ鍋屋」というイメージが強すぎて夏場はお客さんの入りがピーク時に比べると良くないこともあったので、少しイメージチェンジですね。

-サッカーというスポーツ業界とはまた違う飲食業ということですが、経営するにあたって一番意識していることやポリシーというものは何でしょうか?

もちろん店の経営という部分では一日の売り上げ目標の設定をしていますけど、それに届かなかった時に何ができるのかということは、店長はもちろん従業員やバイトの人も含めて全員で考えなければいけないと思っています。「今日は暇でしたね」ではなくて、やっぱりやることは他にもいっぱいあると思いますし、経営者だから、バイトだからではなくて、どんな立場であっても店に関わっている以上はお客さんが喜んでもらえるサービスを提供しなくてはいけないと思いますから、暇だからやれることをしっかりと一緒に考える、そのアプローチは僕がしっかりとしなくてはいけないと思っています。例えば駅前でビラを配るとか、繁華街の人の流れを見るとか、繁盛している店はどこなのかとか外へ出て見に行っても構わないし、そういうこともやってもらっていますから、みんなで考えることが大事かなと思っています。
僕はいろいろな町に行かせてもらいましたけど、やっぱりそこの場所によって特徴があって、何でも同じようにやっていれば良いとは限らないし、まあ、チェーン店は全国どこでも同じサービスが受けられるという意味では良いのですが、そうではなくてその地域性というか、そこのお客さんの層に合ったものが提供できればと思っています。でもこれは飲食業に限ったことではなくて、例えばサッカークラブにしても、地域性をもっと生かしたことができるのではないかなとは思いますね。

-地元の鹿児島でもなく、選手としてのピークだった大阪でもなく、静岡で店を出した理由は?

いろいろなところで喋っているので理由は皆さんご存じかもしれないですが、清水エスパルスからガンバ大阪に移籍する時に急に決まり、サポーターの皆さんにメッセージを残せずに離れてしまったので、いつかは静岡にお店を出して、選手時代のお礼と恩返しができればと思ったというのがあります。

-でもなぜ飲食業のもつ鍋屋だったのですか?カフェや他の業種とかがあったのではないですか?

やっぱり、ご飯を食べている時やお酒を飲んでいる時って楽しいじゃないですか。みんなでワイワイガヤガヤいろいろなことを、特にお酒が入れば本音で話せたりするし、そういう時間がゆっくりと取れるのはやっぱり飲食業だと思いました。自分が清水の時にお世話になった人たちにお礼を言いたい、喋りたいと作ったお店でもありますし、清水からの移籍の仕方があまり良い感じではなかったと思っていますので、そこは自分の言葉で伝えたかったし、逆にみんなからどう思われていたのかなという確認もしたかった…、というのが本音ですね。

-あの時の移籍は当時の監督との問題もあったりして残念でしたが、実際に清水での7年半の選手生活はいかがでしたか?

ぶっちゃけた話をすれば、僕は最初から最後まで、引退もエスパルスでするつもりでいましたし、そのくらい本当に大好きなクラブだったので、本当は出て行きたくはなかったですけど…。ただ、移籍して他のクラブを見てみて、エスパルスには足りないことが凄くいっぱいあることに気付きました。
そこでエスパルス以外の外の世界を見ることができたのは自分自身の財産にはなりましたけど、今、クラブが苦労している姿を見ると、無責任に出て行ってしまった僕らにも責任はあると思っていますし、あわせてそれを止めることができなかった会社やフロントにも原因があって現状があるのかなとは思っています。ただ、今年くらいからいろいろとアプローチをし始めているのは感じられるので、またそういう段階にきているのだと思います。

-ガンバ大阪、アビスパ福岡、サガン鳥栖と経験してみて、エスパルスが足りていない部分というのは具体的には何だったのでしょうか?

もちろん選手というのは、その時の監督のカラーで使われて頑張るし、頑張らない選手などはいないですけど、本当にエスパルスのことを好きで頑張れる選手を増やさないと結局残ってくれないし、移籍してしまうと思うのですよね。代表を目指して海外の、昔では考えられないクラブへ行く選手というのは別にしても、国内で移籍する選手というのは、もちろん評価というか年俸ということもあるかもしれないけど、エスパルスのことが本当に好きで「このクラブ、サポーターのために何かを残したい」という風に思っている選手が今は少ないのではないかと思うから、サポーターはもちろんだけど、選手からも好かれ、「このクラブで」と思ってもらえるようなクラブにならないといけないと思います。
僕もガンバ大阪へ行って、遠藤保仁(現ガンバ大阪コーチ)という選手と一緒にやりましたけど、ヤット(遠藤)さんは「ガンバのために」と思ってやっていたし、海外から魅力的なオファーがあったことも知っていますし、国内でもガンバよりも高額な金額を用意していたところも知っていますけど、それでもガンバが好きで残ったわけで、その他にもガンバが好きで残っていた選手がいっぱいいたので、明神智和(現ガンバ大阪ユースコーチ)や加地亮など、そういう「このクラブで」という想いがある選手が足りていないのかなというのはありますね。

 

続く